「不当判決」という言葉を使う傲慢さ2

光市母子殺害事件と死刑廃止論」というのを「痛いニュース」の紹介で知った。

大学准教授にしては,「永山事件の死者は4人。対してこの事件は1.5人だ」とか,「先進国人というより中国人に近いということは認識しておいたほうがよい」とか揚げ足をとられそうな書き方をしているというか,本論に関係ないところで,ご自身の人間軽視,人種差別意識を見せられているようで,「痛い」です。

こういう書き方は,考えも浅いように見える。

 

さて,死刑判決に対して,弁護側は当然のように,不満を言っている。しかし,彼らの戦略は正しかったのだろうか。

最高裁の判決では,「情状酌量の余地はあるか」という点で審議するように出ていた。それに対して,高裁の判決は,元少年は1,2審の主張を変えてきて,これまでの反省の弁も帳消しにしてきたという判断だ。

「元少年が主張した事が真実だ」と弁護側は判断したのだろうか。まあ,信じなければ弁護士は務まらないと考えているのかもしれないが,「人間は誰でも嘘をつく」のだ。弁護士たちが元少年を信じたとしても,裁判官がそれを信じると考えるのは,無能な弁護士だろう。

実際,裁判官は,元少年が高裁で主張したことを信じることはなく,逆に死刑を逃れるためのいい訳で,逆に反省するところが無いと判断したのだ。
裁判官の判断は,間違っているのだろうか。弁護人達のように,元少年の高裁での主張を信じるべきなのだろうか。

元少年は嘘を言っているという意識はないのかもしれない。人間は,自分に嘘をつくことは可能なのだ。長い拘置生活で,高裁での主張が,当時自分が考えていたことだという確信があったのかもしれない。自分の記憶すら,塗り替えることは可能だ。

しかし,一人の記憶を他人が真実と認める訳ではない。過去の主張や証拠と照らし合わせて,合理的であるかどうか,判断しなければならない。

 

弁護人達は,無能だった。元少年にありもしない希望を抱かせ,一般的に荒唐無稽な主張をさせたのだ。弁護人達は,元少年の主張を客観的な検証もせずに受け入れたのだ。その主張を裁判官が受け入れると何故判断したのか。元少年の主張は,死刑回避の逆の証拠となったのは,弁護人達には予測できなかったらしい。

裁判において,被告人の主張を100%信じる裁判官がいるだろうか。裁判官で無くても,罪を逃れるために嘘をつくと思うのが一般的な感覚だろう。それは,冤罪を生む原因の1つだと思う。だからこそ,裁判官は,公平な目で,「疑わしきは罰せず」を肝に銘じなければならないが,しかし,1,2審の主張を否定し,一般的感覚ではない主張をしても,裁判官が信じなければならないと言うことはない。

 

元少年の主張通りで,傷害致死であったとしても,元少年に対して何ら危害を加えていない女性と赤ん坊が死んだという事実は,明白なのだ。二人の人間が死に至らしめた原因は,元少年の仕業なのだ。二人の死に対して,元少年は反省していない,という印象を与えた。いや,裁判官も世間も,元少年は,反省はしていまいと確信させたのだ。

そのことが,絶望的な思いに駆られる。

弁護人達は,死刑回避も出来なかったし,それどころか,元少年に

そう,元少年が自分の罪を認め反省する姿が期待されたのだ。それが,最高裁の判決から,これまでの裁判の意味なのだ。

18歳になったばかりの少年は,9年たっても,拘置所で反省する時間が与えられても,彼は死刑になっても当然の犯罪であるとこを認めることはなかったのだ。それは,18歳の少年だからと言って,更正する可能性が高いとは言えないということを意味する。

世間の人たちは死刑を望んでいたなんてことはない。心の奥底では,少年が改心し,心より反省の弁を述べ,本村さんが許すことを望んでいたんだと思う。

死刑廃止論者の弁護人は,最高裁の判決を無視し,元少年の「傷害致死としても」贖罪の念を抱かせることも出来きなかったのだ。

本来の目的である,贖罪がなされなかった。それが,この事件の結末だったというのは,暗い気持ちにさせる。

Leave a comment

0 Comments.

Leave a Reply


[ Ctrl + Enter ]